NPO法人 グローブジャングル

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ソバン先生の想い

くっくま孤児院運営

私たちの団体が運営のサポートをする前も今も、
くっくま孤児院で頑張っているのが、
ソバン先生です。

芸術と音楽に長けているソバン先生は、
この世界で生きていきたい子どもたちには、
チャンスをあげたい。

自分が小さい頃から育った孤児院で、
音楽に出会い、伝統舞踊で生きてきた、
この経験を同じように生活が大変な子どもたちに
伝えたい。

どんな環境で生まれ育っても、
自分の生きる道を選ぶ自由があり、
幸せになることができる。と。

今日は、そんなソバン先生についてです。

★★★ソバン先生の物語★★★

親が離婚をし、母親は、土地を全部売って、
新しい男の人と家を出ました。

おばあちゃんと一緒にいとこたちと
生活をしていました。

ある日、プノンペンにある孤児院に
連れてこられましたが、
おばあちゃんと一緒に暮らしたくて、
田舎に帰りました。

けれど、僕たちがおばあちゃんと一緒にいると、
おばあちゃんは近所の人たちから
陰口をたたかれる日々。

なぜなら、僕たちがご飯を食べて行くために、
おばあちゃんはお金を工面しないといけないから。

もしも、おばあちゃんが一人なら、
おばあちゃんはお寺で生活ができ、食事にも困らない。

これ以上、僕は、おばあちゃんを困らせたくない。

大好きなおばあちゃんに嫌な思いをさせたくない。

僕は、孤児院に戻ることを決めました。

そこで僕は伝統舞踊と音楽に出会い、
その虜になっていきます。

誰よりも、伝統舞踊を愛し、音楽を愛しました。

伝統舞踊で、日本にも3回も行けました。

伝統楽器もキーボードも、本当に大好きです。

でも、孤児院での生活は楽ではなかったです。

自分たちでもお金を作っていかなくてはいけない。
学校を辞めて、働きました。

伝統舞踊の先生をしたり、
伝統楽器の演奏に行ったり、
大衆劇場のお芝居をしたり、
テレビ局で踊ったりもしました。

ある日、暮らしていた孤児院の移転問題があり、
あちこちをみんなで転々するようになりました。

分かれて暮らさないと住む場所がなく、
人数が多すぎて大変だとなりました。

だから、自立して、
自分で頑張って生きていこうと思った。

でも、僕たちと一緒に暮らしたい子どもたちがいました。

僕は考えた。

その時、僕は、僕と同じような孤児院で育っている子どもたちと共に生きていくことを決めました。

19歳の時です。

2010年8月
僕が大好きだったおばあちゃんが亡くなりました。

バサックスラムの子どもたちとイベントで
日本へ行っている時でした。

悲しくて、悲しくて。

だけど、僕たちに会いに来てくれている
日本の人たちがいる。

僕は、仕事で日本へ来ている。

今は、日本の人たちのために頑張ろう。と思いました。

カンボジアに帰ってきて、
すぐにおばあちゃんのところへ行きました。

おばあちゃんに日本から帰ってきたら、
おばあちゃんのためのお祝いをするからね。
と約束をしていました。

でも、出来なかった。
してあげることができなかった。

おばあちゃんに謝まった。
何度も何度も。

大事なのは、先のことよりも、今。

やりたいと思ったら、今やるんだ。

まずは、仲間と共に、
子どもたちを食べさせていかなくてはいけない。

あちこち踊りや演奏に行き、
とにかくお金を作った。

だけど、本当に生活が苦しくて、
近所のお店から残ったスープをもらったり、
ホテルでお客様に出す魚の残りを、
毎週金曜日に米袋にいっぱいもらって、
きれいに洗って、それを揚げて食べていました。

当時、その日を暮らすのに、本当に精一杯だった。

2010年9月
日本の人たちが、応援してくれることになりました。

あの日のミーティングを今も覚えています。

「子どもたちのことをどう思っていますか?」
と聞かれ、
「家族です。」と答えた。

そして、僕は大好きな伝統舞踊を引き続き、
子どもたちに教え続け、音楽もスタートさせました。

だけど、まだ小学生の子どもたちに、
音楽を真剣に取り組むことは難しく、
やったりやめたりの繰り返しです。

2014年。
大きくなってきた子どもたちの中で、
将来音楽で生きていきたいと言い出す子が
出てきました。

再度、音楽の練習をスタート。

1からすべての音楽を教えることは、
簡単ではありません。

毎日毎日、コツコツコツコツと教えていきました。

叱ることも、怒鳴ることもあった。

もちろん、褒めることも、認めることも。

そして、2019年。
乾季になったら、結婚式の巡業にでようと思っています。

その仕事をすることで、人気になったら、
自分たちの力で、孤児院を運営していけます。

テレビにも出れるようになります。

音楽で生きていきたいと
夢見た子どもたちの夢が叶います。

僕は、本気だ。

毎日毎日ずっと巡業のことを考えています。

ステージの大きさ。

どうやったら、スムーズに準備ができるか?

どう魅せたら、有名に近づけるか?

僕は、この先、どんなことがあっても、
伝統舞踊と音楽から離れることはありません。

伝統舞踊と音楽は、僕の人生そのものです。

僕は、それで生きてきました。

だから、心から大好きな伝統舞踊と音楽を、
この先もずっとカンボジアの子どもたちのために、カンボジアの未来のために、つなげていきたい。

くっくま孤児院のくっくまバンドが軌道にのったら、僕は、伝統舞踊と音楽学校をやりたい。

たくさんのカンボジアの子どもたちの
将来の選択肢になったらいいと思う。

どんな環境で育っても、あきらめずに頑張り続けたら、必ず夢は叶う。

夢を応援してくれる人たちに出逢えることもできる。

僕は、僕の人生を誰かのために頑張り続けたい。

くっくま孤児院運営

「愛にあふれる毎日が、ここにある。」
様々な理由で親や兄弟と一緒に暮らせない、4歳から20歳までの25名の子ども達が一つ屋根の下、暮している孤児院です。

色んな過去があったかもしれない。でもそれを感じさせないキラキラの笑顔は、過去ではなく「今」をめいっぱい楽しんで生きる。そんな明るいエネルギーを感じることができます。プロ顔負けの伝統舞踊や音楽を真剣に頑張っている子どもたちです。孤児院を訪問して子どもたちと会うことも出来ます。子どもたちの生活や教育サポートをお願いしています。

くっくま孤児院運営
この記事を書いたひと
グロジャン編集部
グロジャン編集部

昔公園にあった、みんなが大好きな地球儀型のクルクル回るジャングルジム。一人で回して乗ってもなんだか楽しくない。みんなで手動で、せーの!よいしょよいしょって、みんなでグロジャンに乗って回して自然と笑顔になる。肌の色とか、年齢とか関係ない。みんなで乗ろうよ!みんなで回そう!そんな想いがこめられた名前、それがグローブジャングルです。

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