どんな教室だったとしても
実際に、カンボジアのあちこちに足を運ぶと
まだまだ木造の校舎やこんな環境で頑張っているんだって
いう場所に出会います。
国が自分の国の子どもたちの教育のすべてを
サポートをするべきだと
思うときもありました。
でも、
もし、何かできることをしたいと思ってくださる方がいて
動くことができるのであるならば、
私たちは、その方に頼りたいです。
今、目の前に勉強を頑張っている子どもたちがいる。
どんな環境でも、目の前にいる子どもたちのために
しっかりと教えている先生がいる。
田舎の子どもたちにとって
先生の存在は、本当に大きいんです。
学校で出会う先生が、
素晴らしい先生であったとしたら、
どんなに大変な家庭環境だったとしても、
その子は、ラッキーだったね。と
思うことがあります。
校長先生が自ら、
学校までの移動費をサポートしたり、
成績が優秀で勉強したくても
働かざるを得ない状況の時に、
先生が一緒に方法を考えてくれたり。
カンボジアの公立学校の仕組みは、
まだまだ変えていった方がいいことがたくさんあると
思います。
でも、
学校にいる現場の先生たちは
年々頑張っているとすごく感じます。
子どもたちのために、
色々なことを経験させたい、学ばせてあげたい
って思っている先生がいます。
カンボジアという国が教育省が学校が先生たちが
できること、頑張ることと
私たちができること、頑張ること
は、それぞれ違います。
だからこそ、
同じ人として、助け合って
ともに前に進んでいけたらいいなと
いつも思っています。
【どんな教室だったとしても】
実際に、カンボジアのあちこちに足を運ぶと
まだまだ木造の校舎やこんな環境で頑張っているんだって
いう場所に出会います。国が自分の国の子どもたちの教育のすべてを
サポートをするべきだと
思うときもありました…